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脳内会議

考え事が好きな人の頭の中身

それはまるで毛布みたいに

今日はとても冷え込んだ。

あまりに寒くて体が冷えたので、銭湯に体を暖めに行ったくらいだ。

 

私はもともと冬が苦手で、寒いと体が動かなくなってしまう。

同時に思考も固まって来て、ちょっと鬱ついた気持ちになってしまう。

日射時間が短くなるからだろうか。

寒さをしのぐ為に服をたくさん着るからだろうか。

開放的な気分の夏が終わると、徐々に内向的になっていってしまう。

 

今日も今日とて、寒さのせいなのかなんなのか、気持ちが鬱ついてしまっている。

こういう状態になってしまうのはもう慣れっこだし仕方のない事なのでそれはいい。

この状態をどうにかしようと足掻けば足掻くほど、深みにはまるのは自分自身が良く分かっている。

 

今までは人と一緒に暮らしていたから、自分の意志とは関係なく楽しい会話をする事も出来た。

そばに人が居てくれるだけで、不思議と安心感を得ることが出来た。

気持ち的にどうしようもなくても、その気持ちを吐き出して受け止めて貰う事も出来た。

 

でも今は一人だ。

だから、自分でどうにかしないといけない。

それなのに、どうしたら良いか思い浮かばない。

今まで少し甘え過ぎていたのかもしれない。

 

これから本格的に寒くなって、どんどん気持ちも内向的になっていくだろう。

今のうちに対策を練っておかないと、後々痛い目にあいそうだ。

 

だから今日はその方法を考えよう。

 

****

 

・甘いものを食べる。

甘いものは心をゆるめてくれる。幸せな気持ちになれる。

ホッとする為に、甘いものを食べよう。

美味しいドリンクと一緒に。

 

・湯船に浸かる。

パートナーがいれば抱きしめて貰って温もりを感じるのもいいかもしれない。

でも、相手がいないとそれも無理だから、その代りお風呂に温めて貰おう。

体が温まれば、気持ちもゆるむしね。

 

・自分の気持ちを聞いてあげる。

内向的になっている時は、何かふさぎ込んでる気持ちがある事が多い。

だから、その声をよくよく聞いてあげよう。

自分の気持ちを一番分かってあげられるのは自分だから。

寂しい?苦しい?切ない?つらい?

うんうん、そうだよね。わかるよ。大丈夫だよ。って。

 

・ゆっくり寝る。

睡眠大切。

寝ないと人間おかしくなるからね。

睡眠が切り替えスイッチになる事もあるし。

すべて忘れていったん寝よう。

 

取りあえず、こんなところかな。

 

こんな時は、とにかく自分に優しく。

自分を甘やかして。

心を暖めて、気持ちをゆるめてあげるに限るよ。

 

それはまるで毛布で包み込んであげるかのように。

 

さて、私自身も毛布に包まれてこよう。

 

今日はここまで。

自分らしさを邪魔する思考を手放す

私はここ数か月、自分を取り巻く環境に色々な変化があり、今の期間を『人生の転換期、リセット期』と称している。

 

この数か月の色々によって、現実面で不安定な部分が出てきてしまった。

 

足元が覚束ないような不安定さがあり、この先どうしようという未来の不確定さがあり、その状況に恐れ戦いてしまう事も少なくない。

 

こういう時は大抵、自分の中にあるはずの、何か芯のようなモノが欠落しているせいで起こっている事が多い。

 

そして今もまさにそのような状況にあると感じている。

 

ならば、今後自分が進む方向を決めてしまえばいい。

そうすれば、現実的な不安定さは消えずとも、未来の不確定さに恐れる必要は少なくなるであろう。

 

という事で、今後の私はどうすればいいのか、という事を真剣に考えている最近である。

 

****

 

人間には癖になっている思考や考えや行動が必ずある。

 

ある事は別に構わない。

だが、その癖は、時におかしなループへハマる原因となり得る。

 

当然私にもたくさんの癖があり、特に思考の癖に関しては、いつもおかしなループへハマってしまう原因となっていた。

そしてその事には随分前から気が付いていた。

 

しかし癖を持っている事に気が付いても、「どの思考が癖なのか」は自分を客観的に眺めてみないと中々気が付けない。

 

なのでここしばらくは自分の癖を探し出して、それを変えてみる、手放してみる、という事に専念していた。

 

では、なぜその癖がおかしなループへハマる原因になるのだろうか。

 

おそらくそれにはたくさんの理由が存在しているだろうと思う。

だが、自分を見つめ続けて気が付いた事は

「ハマる原因となる思考の大体は、自分の本当の思考ではない」事が多いという事だった。

 

これはどういう事か。

所謂【常識】【ルール】【親からの躾】などに由来して気が付かぬうちに自分の中に植え込まれている思考のせいで、自分の本当の思考とは違う考えや行動を起こしてしまっているせいでループにハマってしまうという事だ。

 

例えば。

親からの躾で「他人に迷惑になるようなことは絶対にしてはいけません」と育てられたとしよう。

割と日本人にはこういう思考を持ってる人は多いかもしれない。

 

この「他人に迷惑をかけるべからず」と言う思考を強く強く持っていると、こんなことが起こったりする。

 

『今自分は疲れているからこの作業を手伝って欲しい。でも、手伝わされた方からすれば迷惑かも知れない。だから何とか自分で頑張らなきゃ…』

 

するとどうだろう。

 

・本当は誰かに手伝って欲しいのに、言い出せないので頑張り過ぎて調子を崩してしまう。

・本当は手伝って欲しいのに、他の人はそんな事に気が付かず自分の仕事が終わらせて帰ってしまい、悲しい思いをする。

・手伝って欲しいけど、お願い出来ないから頑張ってるのに「頑張ってね」と言われてイラついてしまう

 etc...

 

自分にとって良いとは言えない出来事がたくさんやってきてしまうのではないだろうか。

 

これがループにハマってしまう原因だろう。

 

では、上記の例でループから抜け出すためにはどうすればいいのか。

 

それは『手伝って欲しい』と言う自分の願いを素直に表現することに限る。

もしくは『疲れているから翌日に回す』などの回避パターンも有効だろう。

 

とにかく自分の願いはどこにあるのかを見つけ、素直にそれに従う事だ。

 

もちろん、他者が関係することでは自分の思い通りにいかない事もある。

それを理解した上で自分の願いに素直になる事が一番だ。

 

****

 

上記のような例は他にもたくさんある。

 

それでも総じて言えるのは【自分に素直になる事】ではないだろうか。

 

もし何かおかしなループにハマっていると感じたときは【自分の思考や行動】が、自分の本当の願いと相違ないか、または【いつも同じようなパターンの思考や行動をしていないか】をじーっと見つめると、そこに答えがあるように思う。

 

****

 

そしてさらに言うと、自分の本当の願いを知り、自分に素直になると、自然と自分らしい道を歩めるような気がしている。

 

一番初めに書いた自分の方向性の話に戻るが、私は今後の方向性として

『自分に素直になる、自分らしく生きる、自分道を歩む』事が大切である事に気が付いたのだ。

 

自分で言うのもなんだが、私はとても勘が鋭いらしい。

そして他者に対しての観察力にも長けているらしい。

 

それはもちろん長所でもあるのだが、この勘と観察力が優れているせいで『他者の希望に応えがち』になっているのが今までの私だった。

 

相手の望みを応えがちなせいで、自分の望みはないがしろにしがち、でもあったのだ。

それは自分自身の希望を無視し続ける事でもあるので、疲弊してしまう事が少なくなかった。

 

だからこれからは、他者への望みを応える事はそこそこに、まずは自分の望みを優先することを第一にしようと思っている。

 

それこそが、私の自分らしく生きる道、であると信じて。

 

****

 

自分には自分が大切にしたい価値観がある。

好きな事嫌いな事、愉快と感じる事不愉快と感じる事。

まずはそれを知り、大切にする。

そして、私は私、あなたはあなた、である事を忘れない事。

それぞれがそれぞれの価値観を大切にし、尊重し合う事。

決して互いの領域を侵して荒らさない事。

 

これらを念頭に、今後自分らしい道を歩んでいく所存である。

 

自分らしさを邪魔する思考は、全部捨ててしまおう。

 

以上、本日の会議はこれにて終了。

自分に嘘をつかない

今日メッセージのやり取りをしていて、自分が放った言葉ながら大切な事を言ったような気がしたので、記録がてら書く。

 

今現在私自身を含め、私の周りの人たちで『人生が動いてる』状態の人が沢山います。

とても不思議なタイミングでみんないろんなことが起こり、人生の転機と呼ばれるような状態の人が本当にたくさんいます。

 

私は今仕事もなくて、就活する気力もなくて毎日引きこもってて、家も実家に出戻って居候だし、一番近くで支えてくれるパートナーもいなくて、どちらかと言うとマイナス的状況に見舞われています。

 

友人の中には『離婚する・しない』の話をしている人もいれば『結婚が決まった』って人もいれば『妊娠した』って人もいて、マイナス的状況人の中にもプラスに向かって動き始めている人たちもいます。

 

とにかくみんな、何かが動いてる。

 

そしてみんな大切な人たちなので『いい方向に進んで欲しいな』と思うわけですが、そんな中ふとこんなことを思ったのです。

 

『自分が自分に嘘さえつかずにいれば、いい方向にしか進まない』と。

 

【自分に嘘を付かない】

 

これって簡単なように見えるけど、実はみんな結構フランクに自分に嘘をついている事が多いと思います。

 

小さなことで言えば「今日はステーキが食べたいけどお金ないしラーメン食べよう」とか。

大きなことで言えば「本当はやりたい仕事があるけど、給料が良いから我慢して今の仕事続けよう」とか。

もっと言えば「夫婦間の愛情は冷め切っていてもうどうしようもない状況だけど、世間体もあるから仮面夫婦でやっていこう」とかね。

 

自分の本音は□□なのに、△△を行う。

これってある種自分に嘘付いてるよね。

 

多分、仕方ない事もあると思う。

嘘をつかざる得ない時ももちろんあると思う。

 

でも、本心に気が付きながらもそれを無視して違う事やってたら。

多分それってあんまり幸せではない気がしてならない。

 

だから、自分に嘘をつかず、自分が進みたい道に進むのが一番いいのだと思う。

その道が、例え第三者から見たときに、批判されるような道だったとしても。

自分自身が選んで納得して歩む道なら、きっとそれは【いい方向】なのだと思う。

 

もちろんね、あまりに他人に迷惑かけすぎるとか、法を犯してしまうとか、そういうのは問題ありだと思うけど。

 

守るべきルールの中で、自分が本当に進みたい道を進むことが、その人にとっての【いい方向・良い人生】なのではないかと思ったのでした。

 

自分に嘘を付かない事。

幸せを知りたいなら、自分にとっての幸せがなんであるかをよく知る事。

それが自分にとって最善の道であるという事を、忘れないようにしたいと思う。

 

これはあくまでも私の考え。

 

自分に嘘をつき我慢し続ける事こそが幸せだと主張する人もいるだろうけど、それはその人が望むことならそれでいいと思うし。

 

ただ、私の幸せへの近道は【自分に嘘を付かない事】だと思ったよってお話しでした。

 

以上、今日の会議はこれにて。

弱音を吐かせてください

そして、弱音を見たくない人や気持ちが引きずられやすい人は見ないでください。

いま、どうしようもないんです。

頭と心がごちゃごちゃしていて。

だから吐き出したいだけなのです。

 

 

****

 

 

今の家に引っ越したのが今年の1月。

たくさんの希望や思いを抱えて引っ越してきました。

 

私は他人と一緒に暮らすのが初めてだったから、たくさん戸惑いや不安も抱えて引っ越してきました。

 

どうかこの生活が上手くいきますように、そんな願いも込めて、本ブログをお引越ししたりもしました。

 

しかし8月現在。

たったの8か月。

この生活は幕を引きました。

 

私の願いも思いもはじけ飛んじゃった。

その結果を導き出してしまったのは他でもない、私自身です。

 

私はここ最近、心がからからと干からびていっている感覚をずっと抱いていました。

厚かましいのだろうけれど「愛されてる実感が持てない」という思いをずっと捨てきれずにいたからです。

「愛されたい」と思ってしまう事がそもそも間違っているのかもしれない。

でも、それを望んでしまっていた。

 

だけど、そう願うのとは裏腹に、真逆の事が起きてしまう。

実際相手の思いは分からない。

でも「これ、私、大切にされてないな」と勘ぐってしまう事が、一緒に住み始めてからぐんと増えてしまった。

 

悲しかった。

たぶん、ただ悲しかっただけ。

でもそれに耐える事が出来なかった。

 

じわじわその悲しさは浸食をしていって、怒りやイラつきや落ち込みに形を変えてしまっていた。

 

冷静になれば、あの時のあの行動も、あの時のあの言動も、たくさんたくさん愛情が詰まっていたものだという事はわかるのに。

私はそれを跳ね返して、自分の望む形ばかり求めていたのだという事が今になったらよく分かります。

 

何でもっと素直に愛情を受け取れなかったんだろう、と言う思いと、

どうしてこうしてくれなかったんだろう、と言う相反する思い。

 

あんなに優しくしてくれてたのに、と言う思いと

私は優しくできていたのだろうか、と言う罪悪感。

 

愛情の形何ていろいろあるのに、欲張り過ぎたのかな。

 

今私の中にあるのは

自分らしさを奪ってしまうような事ばかりをしてしまって、本当にごめんなさい、と思いと

それでも本当に大好きだったのは間違いないんだよ、と言う思いと

だけど、ちゃんと愛しきれなくてごめんなさい、と言う後悔が大きい気がします。

その他にも、ありがとうと言いたい事が山ほどあるし、でもやっぱりごめんなさいと言いたい事も山ほどあって、良く分からないのが正直なところかもしれません。

 

こういう時って、本当にたくさんの感情や思いや思考が浮かんでは消えるので、自分をどこに置いておいてあげたらいいのか分からず、とてもとても辛いものです。

 

私はこの2年間で、本当に変わったと思います。

それは紛れもなく、この2年間があったからに間違いありません。

私にとって、とてもとても大切な時間、そして大切な人であったことはこの先一生変わる事はないと思います。

 

今はまだ自分が錯乱状態にいるから何を言いたいのかもよく分らない為、本当にこれは吐き出しただけの文章で、さぞ読みにくかろうと思います。

 

そして、このブログの存在を知っているあの人が目にしない事を祈るばかりです。

 

とにかく、今は、悲しい。

悲しくて悲しくて、耐え難い。

でも、もう絶対すがってはいけない。

ちゃんと前を向いて歩いて行かなきゃ。

 

だけど、ちょっと疲れたから

少しだけ休もうかな

 

きっと立ち直るまでには長期戦になるだろうから

それを持ち堪えられるようにしなきゃ

 

なんかさみしいな

 

一人でいる事が好きだったのに、あの人と一緒にいたから、一人でいるの、辛くなっちゃった。

あぁ、本当にあの人の事大好きだったしあの人と過ごす時間が好きだったし、優しさに甘えきってたんだな、きっと

 

また一人にも、なれなきゃ

モノを作る工程

先日メインブログの方で「モノを作る時にどういう流れで考えているのか頭の中を見てみたい」とコメントを頂いた。

 

私は絵が描けないのだが、そういえば私も「絵を描ける人の頭の中は何を描こうと思ってどうやって頭の中でそれを想像して絵にしているのだろう」と思った事があり、自分とは違う頭の中を覗き見る事が出来たらさぞ面白いだろうな、と考えた。

 

今まで意識せずにものつくりをしていたのだが、試しに自分の頭の中でどういった流れで色々な事を考えているのか観察してみることにした。

 

****

 

当然のことながら、まずは自分がどのようなものを欲しているのかを考えるところから始まる。

 

アクセサリーならどんなデザインのモノで、どんな色のモノなのか。

実用的なものなら、どんな用途で使うのか、その為にはどんな形であるべきなのか。サイズはどれくらいなのか。

まずは自分が欲しているモノを脳内で吟味する。

 

今回はメインブログで紹介したランプシェードを例に挙げていこうと思う。

nekonoko-life.hatenablog.jp

 

ちなみにこのランプシェードは完全にその場の思いつきだった。

まず、トイレの照明器具が必要なので、ソケットと電球を買おうとしたところから話は始まった。

 

ソケットと電球を購入したところで『裸電球だとちょっと寂しいからシェードが欲しいな、ただし極力安いもので』と思い至る。

 ↓

そういえばだいぶ昔、100円ショップに和紙で出来た提灯のようなシェードが売ってた気がするから見に行ってみようと、100円ショップへ向かう事にした。

 ↓

いざ100円ショップへ到着して売り場をうろうろしていると、例のプラスチックのボウルを見つけた。

 ↓

そのボウルを見て『ガラスのボウルを加工して穴をあけて、ランプシェードとして販売している雑貨屋があったな。あれ可愛くて欲しかったんだよな。もしかしてこのプラスチックのボウルなら私でも加工出来そうだから、似たものが作れるのではないだろうか!?』と考え、意気揚々とボウルを購入することを決意。

 ↓

しばらくその場でボウルを手に持ち、家にある工具でどのように加工出来るか考える。

 ↓

『カッターはまず無理だろう。のこぎりも歯が引っかかって無理があるだろう。となるとやはりドリルだろうか。ソケットが通るための穴をあければいいけど、さすがにドリルの穴では限界があるな。…そうか。ソケットを通す穴の外周をドリルであけていけば、缶切りの要領で空けられるかもしれないぞ。とりあえず失敗しても100円だし、チャレンジしてみよう』と、加工方法を決定した。

 ↓

早速帰宅し、工具を取り出す。

 ↓

そしていざ、チャレンジ。

実際に作業をしてみると不具合が出るので都度調整する。

(今回の件で言えば、ドリルで外周を空けてくりぬいた際、思いのほか切り口ががたついていて手を切りそうだったので、やすりで削る工程を付け足した)

(更にやすりで削っている途中、やすっているその部分が熱を持ってしまったので、蛇口の下で水を流しながら作業するようにしたりした)

 

****

 

と、このような感じだろうか。

 

今回のランプシェードは以上のような工程を経て作られたものとなる。

 

頭の中で考える順番などはその時に作るもので全く異なるのだが。

 

以上、私の頭の中を少し覗き見した気分を味わっていただければ幸いである。

 

今日はここまで。

表現すること

私はどうも表現することが好きらしい。

ブログを書いていることも表現の一つのようだし、ものつくりをすることもその一環になっているような気がする。

 

そんな中彼に「モデルやってみれば」と言われた。

もちろん、モデルができるほど美人だといっているわけではない。

私が表現することが好きで、その一つの方法として【被写体になって自分を表現する】という道を示してくれたのだ。

 

なるほど、と思った。

 

でも私はもともと写真を撮られることがそんなに得意ではない。

自分の顔がずっと嫌いだったから。

 

しかし大人になるにつれて、写真に対する苦手意識も減ってきたし、美容師の友人のお願いでヘアモデルをやったりしていたので、これは悪くないなと思った。

ヘアモデルの時はとてもきれいにして貰ってから撮るので、その仕上がりに自分が驚くくらいの写真が出来上がるのが結構楽しくなってきているくらいだし。

 

趣味でカメラをやっている友人が何人かいるので、今度写真を撮ってもらおうかと思案中。

 

その他に表現方法って何があるのだろう。

何か自分が没頭出来る表現方法を見つけられるといいな、と思った次第。

役にも立たないし薬にもならない話

今日のはまた、とんでもなく長い独白で、暗い内容を存分に含んでおります。

読んでも誰の得にもならない内容ですので、そっ閉じしてくださいね。

 

*****

 

ちょっと最近ごたごたしていて、心身共に落ち着きのない日々を送っています。

そんな毎日の中で、考え事が好きな(というか癖になってる)私は色々考えているわけなんですが。

 

私はもともとネガティブ要素の強い人間で、いつからそうなってしまったのかを思い出そうと思ったんです。

過去を振り返ると、明確に覚えているのは悪い記憶ばかりで、どうしてこうも嫌なことに固執してしまうのかほとほと呆れてしまうほどです。

 

その中でも鮮明に思い出したのが、小学生の頃のこと。

私はクラスメイトに無視をされていて、まぁ要するにいじめだったのですが、その時期本当に辛くて、毎日地面を見て歩いていた事を思い出しました。

地面を見て歩いていたので、前が見えていなかった。だから電柱にぶつかった。

人とぶつかったと勘違いした私は電柱に「ごめんなさい」と謝った。

顔をあげたらそれは電柱で、恥ずかしいやら悲しいやら虚しいやら、そんな思いを抱えた記憶があります。

 

あの頃から、いや、もっと以前から、私は極端に自己肯定感が低い人間でした。

だから小学生くらいから、私はもう、人生を終わらせて、私と関わった全ての人の記憶を消して、私が生きてきた痕跡をすべて消して、この世から消えてなくなりたいと願っていました。

 

この自己肯定感の低さは一体どこから来たのだろうと考えると、それは両親との関係が強いだろうと思います。

 

我が家は表面的には割と幸せな家庭でした。

でも、家庭内に不穏な空気が漂うことは少なくありませんでした。

 

私は両親の喧嘩を今までの人生で一度たりとも見たことがありません。

それを聞いた人は大概「ご両親は仲がいいのね」といいます。

でも実際は違います。

 

私の父は怖い人でした。

躾についてもそうでしたが、それ以上に自分の気に入らないこと、思い通りにならない事があるとすぐ怒る、怒鳴る、という怖さがありました。

特に父は小さな子供が好きでは無かったので、私がきゃっきゃと騒ぐ声や泣き声などが鬱陶しかったようです。

常に不機嫌でした。ムスッとしていました。何者も近寄らせないような雰囲気をいつも出していました。

 

一方母はと言うと、決して物静かなタイプの人間ではないものの、父を怒らせると厄介だということを心得ていたので、私がきゃっきゃと騒いだり泣いたりすると「んっ!しなさい!」(訳:我慢しなさい)と言う人でした。

 

そんな環境下にいたせいで、私は人の顔色を伺う事が上手くなり、我慢する強さを覚えました。

これはどういう事かというと、要するに「子供らしさ」に欠けた子供になったのです。

 

この二つを手にした私は、常に人の顔色を伺い、何か嫌なことがあってもまずは我慢する人間に育ちました。

そして、感情の出し方が分からない人間になりました。

 

感情の出し方が分からない。

これは、健全な人間である為にはとても致命的です。

 

感情は確かにここ(心の中)にあるのに、それの出し方がわからない。

そうするとそれらはどんどん溜まっていく。

溜まりに溜まったそれらは心の中で爆弾となって、限界を迎えたときに大爆発をする。

大爆発した私は感情の止め方も分からず、起爆させた原因(友人や恋人)を突き放す。

その繰り返しでここまで来ました。

 

今まで大切な関係をいくつも壊してきました。そんな生き方しか出来ませんでした。

 

それでも私は馬鹿ではありませんでしたので、いい加減これではダメなんだと気が付きます。

今から5年ほど前でした。

私はそこから心理セラピーの知識を身につけ、実際自分がセラピーを受けたりして、初めて人生に変化が見えてきました。

 

自己肯定感の低さは今も平均よりは低いですが、それでも以前に比べるとだいぶ上がってきました。

感情の出し方がわからなかった私は、そもそも自分の感情を感じ取る事が出来ていませんでしたが、最近はそれも出来るようになってきました。

 

少しずつ少しずつ、快方に向かってきています。

 

でもやっぱり完ぺきではない。

だから事あるごとに問題を起こしてしまう。

中でも問題を起こしやすい関係があります。

それは「恋愛関係」

 

親子関係で出来た拗れや傷つきは、恋愛関係で再現しやすいのです。

それはなぜかというと、親子同様、心の距離が近いから。

 

私は今までそれで何度も失敗をしてきました。

勉強やセラピーを受ける前はなぜ恋愛関係が上手くいかないのか原因が全く分からず、とにかく私の頭がおかしいのだ、相手の頭がおかしいのだ、等と自分を責め相手を責め、頭を抱えていました。

 

でも、最近顕著になったことが一つあるのです。

 

前述したように、私の父は怖い人でした。

そして「小さな子供が好きではなかった」のです。

 

きっと父本人に言わせれば、娘に対して愛情を持っていたのだろうと思います。

でも、その態度や言動を見る限り、幼い私には愛情を感じ取ることが出来なかったのです。

 

【私は愛されていない】

 

それがずっと根っこにあった事を最近になって気が付きました。

 

本当はお父さんに愛されたかった。

抱きしめて欲しかったし、頭を撫でて欲しかったし、笑顔を向けて欲しかったし、そうやってたくさん愛情を与えて欲しかった。

無条件で受け入れて欲しかった。

 

それが受け取れなかったことが、私の自己肯定感の低さの根源だったかもしれない。

そのことに最近になって気が付きました。

 

そして、父から得られなった愛情を、たぶん私は、今までの恋人たちから得ようとしていた。

たぶん、そのせいで、今までたくさんの関係を壊してきた。

これに気が付かなかったらたぶん、これから先もたくさんの関係を壊し続けるだろうと思う。

 

でも、気が付いた。

気が付いたから。

 

私はここから何かを変えられるような気がします。

 

私の自己肯定感の低さも、これからまた少しずつ上昇していくはず。

それは、お父さんに愛されたかった事実をやっと認められたから。

 

本当はこの気持ち、なんとなく気が付いていたんです。でも見て見ぬふりをし続けていたんです。

その気持ちと向き合うことは、私には辛くて怖すぎたから。

 

でもやっと愛されたかった事実を認めたから、多分これから、何かを変えていけるはず。

本当はお父さんに愛して欲しかった胸の中にいる子供の自分を、自分で愛してあげようと思います。

 

相変わらず私は自分の感情の上手な出し方が出来ないし、すぐに否定・拒絶された気持ちになってしまうし、すぐに絶望してしまうけど。

たぶんその問題の根源をやっと掴んだから。

今、気持ちは割とどん底だったりするけれど、私の目の前にある道に明かりが刺してきてる。

この明かりを見失わないように、少しずつ前向いて歩こうと思います。

 

えっと、結局のところ何が言いたかったのかはわからないけど、最近考えたあれこれと、感じたあれこれをつらつらと書きました。

 

これで以上です。

今日もまた、這いつくばって生きていきます。

では。