脳内会議

考え事が好きな人の頭の中身

一貫している事

最近、一貫して気を付けている事がある。

それは「自分が気分よく・心地よく居られる選択肢を選ぶ」という事だ。

 

申し訳ないが、自分が気分よく・心地よく居る為には、他者を優先しないことになる。

本当に申し訳ないけれど、まずは自分、とにかく自分、という事で、今は何に置いても自分優先になるような選択肢を取っている。

 

人に何かをお勧めされても、好みでなければ取り入れない。

人から何かを依頼されても、気が向かなければやらない。

 

そんな感じで、とにかく「自分の気持ち第一優先」で生きている。

 

何故こんな自己中とも取れる様な事をしているかと言うと、自分の【好き嫌い】【快不快】を知り、自分らしさとはなんたるや、を見つめてみたいと思ったからなのだ。

自分らしさを知る事で、より生き生きとした人生を歩みたい、と言う気持ちから行っている。

実験的なので何がどう変化するかは分からないが、今の所割と気分のいい日が多く、精神的にも安定しているので、良い試みなのではないかと思っている。

 

そして、もう一つ気を付けている事がある。

 

それは「他者のすることに口出ししない」という事だ。

これは、相手の意志を尊重するという事。

またそれと同時に、起きたすべての出来事に対して、自分が責任を背負うという事でもある。

 

例えば、私はお節介を焼かれるのが好きではない。

ここに、お節介好きの人がいて、私にあれこれお節介を焼いているとする。

 

「自分が気持ちよく過ごす為」には、相手にお節介を止めてもらう必要がある。

しかし「他者のすることに口出ししない」と言う事も大切にしているので「お節介を止めてください」と相手に伝える事はしない。

ではどうするか。

この場合「お節介をする人と適度に距離を保つ」という事をするのだ。

「自分が気持ちよく過ごす為」にはお節介を無くす必要があるが、相手の「お節介行為」を止める事はあえてせず、自分の意志で、その人(お節介)から距離を取るようにするのだ。

 

距離を取ってしまう事で、もしかしたら相手は不快に感じるかもしれない。

お節介を止めて欲しい、と直接言った方がスムーズな事もあるかもしれない。

しかし、私は相手の意志(お節介をしたい気持ち)を尊重したい。

だから、私は私の責任で、結果相手に嫌われるとしても、自分の意志でその人から距離を取る。

相手の行動を変えるような口出しはしない。

 

そういう事を一貫して行うようにしているのだ。

 

****

 

私は私の生きたいように生きます。

貴方は貴方の生きたいように生きてください。

私は私の責任で、自分の人生を背負います。

何か問題があれば自分の意志で対処します。

貴方は貴方の責任で、自分の人生を背負ってください。

何か問題があった時、私が手助けできれば手助けします。

 

そういうスタンスで、最近は過ごしている。

 

これを行うようになってから、自分の人生の主人公は自分なのだと、強く思えるようになった気がする。

 

もしかしたら冷たい考え方なのかもしれない。

でも、一人ひとりがきちんと自立していれば、いざと言う時助け合う事も容易になるような気がしているのだ。

 

だから私は、このスタンスを続けて行こうと思っている。

 

要するに『私は私が好きなように行動するし対処するから、貴方も好きなように行動してね。自己責任で、生きようね。』って事。

だからどうという事はない。

ただそれだけ。

 

今日の会議はこれまで。

心の弱いあなたにも問題がある

最近Netflixと言うサービスに登録した。

 

www.netflix.com

 

月額650円で映画やドラマが見放題、というサービスだ。

コンテンツ的にはちょっとがっかりな品ぞろえだったりもするけれど、暇つぶしをするには丁度いい。

はじめの1か月は無料なので、とりあえず無料期間は楽しむ予定だ。

 

その中で昨日見ていたドラマがある。

「リミット」と言うドラマだ。

何年か前にテレ東でやってたみたいだね。

 

www.tv-tokyo.co.jp

 

このドラマのあらすじは

 

・交流キャンプへ旅立った高校のクラス生徒。

しかしキャンプ地へ向かうバスの運転手は夜勤明けで寝不足の運転手だった。急遽シフト変更を会社から命じられたのだ。

寝不足の運転手。途中で意識が朦朧としはじめ、キャンプ地までのルートを間違ってしまうが、それに気が付くこともなくふらふらと運転を続ける。

山道でカーブに差し掛かったその時、ついに運転手は意識を失ってしまう。それと共に崖から転落するバス。

 

クラスメイトのほとんどが死亡し、生き残ったのはたったの数名。

救助を待つが、途中で進路を外れているせいで発見が遅れてしまい…

 

そんな最中、生き残った生徒同士争いが勃発。

みんなの運命はいかに…!?

 

みたいな感じ。

 

それで、このドラマの途中にこんなセリフが出てくる。

 

「心が弱い○○さんにも問題があると思う」

 

このセリフに、ものすごく嫌悪感を抱いた私。

今日はこれについて書き連ねる。

 

****

 

心が弱いあなたにも問題がある、と言う言葉。

この言葉、暴力以外の何ものでもないと思っている。

 

人間の心は、本来必要な時期に必要なものを与えられて初めて強くなる。

 

例えば親からの愛情。

友人との信頼関係。

何かを成し遂げた成功体験。

人から認められる承認欲求。

 

こういったものが成長の過程で親や周りの人間から与えられて、初めて「心の土台」のようなものが出来上がる。

この「心の土台」が無いと、自分に自信が無かったり、弱い自分を隠す為に虚勢を張ったりするのだ。

 

そして土台が無い人は、他人からのちょっとした一言で心がぐらついて、どうすることも出来なくなってしまう事がある。

 

でもそれは、決してその人の心が弱いのが悪いのではない。

弱い心が出来上がってしまった、それまでの環境が悪いのだ。

言うなれば、弱い心の持ち主は被害者でもある。

 

それなのに、「心が弱いあなたに問題がある」と言われてしまったらどうだろう。

これは「痴漢をされたあなたにも問題がある」や「強盗に巻き込まれたあなたにも問題がある」と同等の暴論を言われてるのと変わりないのではないだろうか。

 

****

 

心が強い人には分からないのだ。

心が弱い人の事が。

心の弱い人の感情が。

心の弱い人の繊細さが。

それはもう仕方ないのだ。

 

私はそういう人間とは、もう分かりあおうとも思わない。

ただ一つ願うのは、分からないなら分からないなりに、下手な手出しをしないでおいて欲しい。

「分からない」は時に人を傷つける。

それを自覚して、理解する気が無いのなら、下手なことを言わずにいる。

それが相手の為であるという事を知って欲しい。

これ以上、何気ない言葉の暴力で傷付く人が出ないように。

そう願ってやまない。

 

本日の会議はここまで。

私とあなたの距離感は

距離感。

人間関係において、とても鍵となるであろう距離感。

 

私は距離感にとても敏感だ。

そして、私はとても他者との距離感を大切にする人間だ。

 

私にとっての距離感とは、ある種の防護壁であり、セーフティスペースである。

それは、物理的な距離も心理的な距離でも同じである。

 

パーソナルスペースというものがあるが、私のパーソナルスペースは結構広く取られているだろう。

その距離を詰めてくる人間に対しては、簡単に心のシャッターを下ろす仕様となっている。

 

嫌なんだよね。近寄られるの。

私の半径30㎝は本当に気を許さないと近寄らせられない。

ボディタッチとか、本当に無理。

 

そして、物理的な距離よりももっと大切なのは、心理的な距離だ。

 

物理的な距離でもそうなように、心理的な距離も簡単には近寄らせない。

それなのに強引に距離感を縮めてこようとする人に対しては、簡単にシャットアウト。

それはそうだ。

こっちにしてみたら、土足で自宅に入り込まれたような感覚なのだから。

怖いし鬱陶しい。

だからいつもある程度の距離を保ちつつ、シャッターを閉じている。

 

私をみてもっとオープンになりなよ!みたいに感じる人間も一定数いるらしいが、そんな人たちにはこう言いたい。

「私にとって心をオープンにするほどの価値があなたにないだけだ」と。

 

いつでもだれにでも心を閉ざしているわけではない。

オープンにする相手だってもちろんいる。

オープンにするかどうか、自分で選択しているだけだ。

 

そして、時として完全に心をフルオープンに出来る様な人に出会う事がある。

総じてみんな親友だ。

そこにある信頼感はかなりのモノだと思っている。

 

しかしその親友たちにだって、簡単に心を開いたわけではなかった。

 

長い時間をかけて築いてきた関係性があったからこそ、心を開けたのだ。

時間が必要なのだ。何事にも。

 

そういえば距離感の他にも「境界線」と言うものを設けている。

設けている、というか、誰にでもあるのだが。

 

私はこの境界線を越えられるのをひどく嫌う。

 

例えばこうだ。

「君は絶対にこうしたほうが良いよ!」

「君の悩みは何?解決してあげるよ!」などなど。

なんだか知らないけれど、人の人生に介入しようとしてくるような行為をするような人。

こういう事をされると、とても不愉快な気持ちになる。

 

アドバイスが欲しい時は欲しい人に聞くし、あなたの意見は一切聞いていないよ、って切り捨てたくなる。

私の人生に起きた全ての事は、自分で責任もって背負いますんで。

手出ししないでください、と言いたくなる。

 

私はこの距離感と境界線が守られないような人間関係はなるべく持たないようにしている。

こういう人が一人でもいると、私の心はボロボロになるからだ。

(相手はそんなつもり一切ないのだけれどね)

 

なんで今日こんなことを書いたかと言うと、不思議とそういう人間が集まってくるからなのである。

なんでだろう。本当厄介。

 

こういう人に対しては毅然とした態度で、自分の軸をずらさない様に気を付けなければならない。

 

ここで安易に受け入れ態勢を作ってしまうと、壊れるのは自分だ。

 

そんな戒めも込めて、本日はここまで。

苦手を克服する方法の一つ

苦手な事はたくさんある。

苦手があると、色々な事に躓く原因になりかねない。

 

苦手は少ない方が良い。

それは食事でも人でも環境でもなんにでも言えるのではないかと思う。

 

『好き』や『嫌い』はその人のオリジナリティを作り上げる大切な要素なので、『好き』だけでなく『嫌い』と言う感情も尊重すべき感覚だ。

 

しかし『ちょっと苦手だな』程度の事であれば、『苦手』から『気にならない』位に変わってくれれば、自分自身が過ごしやすくなるのではないか。

 

今日は、私自身一度成功したことのある【苦手を克服する方法】を書き記そうと思う。

 

【苦手を克服する方法】

 

その方法は。

 

慣れる。

 

これのみ。

 

生理的な拒絶反応に近い『嫌い』は慣れる事は出来ないと思っている。

しかし『苦手』はどうだろう。

『苦手』の中には『なんとなくそう思っている』モノがあるように感じている。

そういうものに関しては、ある一定の慣れがあれば克服できるのではないのだろうか。

 

自身の例を一つ

ここで私が実際苦手を克服した例を挙げよう。

 

私は食べ物の好き嫌いが多かった。

実際には「食べられないもの」はないのだが「美味しいと思わないから食べたくない」と言う程度の好き嫌いだ。

好きでないものも出されればきちんと食べる事は出来る。

ただ、好きではない。

 

その好きではない食べ物の中に納豆があった。

小学生の頃に好きではなくなり、食卓に納豆が出ても私だけ食べなくなってから早20年近くは過ぎたのではないだろうか。

 

あの匂いも好きではない。だから一切食べようと思わなかった。

 

しかし実家を出て一人暮らしを始めたある日、ふと

「あれ?なんか納豆食べれる気がする」と思ったのだ。

 

私はスーパーで納豆を買ってきて、さっそく食べてみた。

 

結果、美味しくなかった。

当然だ。20年近く避け続けるほどのモノだったのだから。

しかし、ものすごくマズイ、とも思わなかったので、それから毎朝食べていた卵かけご飯にプラスして、納豆をかけて食べるようになったのだ。

 

それからしばらくして。

 

気が付いたら自分から「納豆食べたい」と思うようになっていた。

あんなにずっと食べずにいた納豆を。

いつしか美味しいと思うようになっていたのだ。

 

これは完全に「苦手だと思っていた納豆を食べ続けたことによって納豆に慣れた」のだと思った。

 

私の完全勝利である。

 

****

 

この場合、自分でやってみようという意思があったから勝利をあげる事が出来たのだろうと思う。

 

しかし、これを他の事に置き換えてみたらどうだろう。

人間は驚くほど順応性が高い生き物だ。

もしかしたら、今まで自分が苦手だと思っていた色々なことを克服することが出来るかもしれない。

 

もちろんこれは「無理をしない」という前提のもと行われている。

無理をしながらこれを行った場合、もしかしたら「心の底から嫌い」に変わってしまう可能性もあるので要注意。

 

もしこれを読んで「私が苦手な○○、この方法で克服できるかも!」と思いついた事があれば試してみてほしい。無理をしない程度に。

 

誰かの苦手が一つでも克服されることを祈っている。

 

今日はここまで。

それはまるで毛布みたいに

今日はとても冷え込んだ。

あまりに寒くて体が冷えたので、銭湯に体を暖めに行ったくらいだ。

 

私はもともと冬が苦手で、寒いと体が動かなくなってしまう。

同時に思考も固まって来て、ちょっと鬱ついた気持ちになってしまう。

日射時間が短くなるからだろうか。

寒さをしのぐ為に服をたくさん着るからだろうか。

開放的な気分の夏が終わると、徐々に内向的になっていってしまう。

 

今日も今日とて、寒さのせいなのかなんなのか、気持ちが鬱ついてしまっている。

こういう状態になってしまうのはもう慣れっこだし仕方のない事なのでそれはいい。

この状態をどうにかしようと足掻けば足掻くほど、深みにはまるのは自分自身が良く分かっている。

 

今までは人と一緒に暮らしていたから、自分の意志とは関係なく楽しい会話をする事も出来た。

そばに人が居てくれるだけで、不思議と安心感を得ることが出来た。

気持ち的にどうしようもなくても、その気持ちを吐き出して受け止めて貰う事も出来た。

 

でも今は一人だ。

だから、自分でどうにかしないといけない。

それなのに、どうしたら良いか思い浮かばない。

今まで少し甘え過ぎていたのかもしれない。

 

これから本格的に寒くなって、どんどん気持ちも内向的になっていくだろう。

今のうちに対策を練っておかないと、後々痛い目にあいそうだ。

 

だから今日はその方法を考えよう。

 

****

 

・甘いものを食べる。

甘いものは心をゆるめてくれる。幸せな気持ちになれる。

ホッとする為に、甘いものを食べよう。

美味しいドリンクと一緒に。

 

・湯船に浸かる。

パートナーがいれば抱きしめて貰って温もりを感じるのもいいかもしれない。

でも、相手がいないとそれも無理だから、その代りお風呂に温めて貰おう。

体が温まれば、気持ちもゆるむしね。

 

・自分の気持ちを聞いてあげる。

内向的になっている時は、何かふさぎ込んでる気持ちがある事が多い。

だから、その声をよくよく聞いてあげよう。

自分の気持ちを一番分かってあげられるのは自分だから。

寂しい?苦しい?切ない?つらい?

うんうん、そうだよね。わかるよ。大丈夫だよ。って。

 

・ゆっくり寝る。

睡眠大切。

寝ないと人間おかしくなるからね。

睡眠が切り替えスイッチになる事もあるし。

すべて忘れていったん寝よう。

 

取りあえず、こんなところかな。

 

こんな時は、とにかく自分に優しく。

自分を甘やかして。

心を暖めて、気持ちをゆるめてあげるに限るよ。

 

それはまるで毛布で包み込んであげるかのように。

 

さて、私自身も毛布に包まれてこよう。

 

今日はここまで。

自分らしさを邪魔する思考を手放す

私はここ数か月、自分を取り巻く環境に色々な変化があり、今の期間を『人生の転換期、リセット期』と称している。

 

この数か月の色々によって、現実面で不安定な部分が出てきてしまった。

 

足元が覚束ないような不安定さがあり、この先どうしようという未来の不確定さがあり、その状況に恐れ戦いてしまう事も少なくない。

 

こういう時は大抵、自分の中にあるはずの、何か芯のようなモノが欠落しているせいで起こっている事が多い。

 

そして今もまさにそのような状況にあると感じている。

 

ならば、今後自分が進む方向を決めてしまえばいい。

そうすれば、現実的な不安定さは消えずとも、未来の不確定さに恐れる必要は少なくなるであろう。

 

という事で、今後の私はどうすればいいのか、という事を真剣に考えている最近である。

 

****

 

人間には癖になっている思考や考えや行動が必ずある。

 

ある事は別に構わない。

だが、その癖は、時におかしなループへハマる原因となり得る。

 

当然私にもたくさんの癖があり、特に思考の癖に関しては、いつもおかしなループへハマってしまう原因となっていた。

そしてその事には随分前から気が付いていた。

 

しかし癖を持っている事に気が付いても、「どの思考が癖なのか」は自分を客観的に眺めてみないと中々気が付けない。

 

なのでここしばらくは自分の癖を探し出して、それを変えてみる、手放してみる、という事に専念していた。

 

では、なぜその癖がおかしなループへハマる原因になるのだろうか。

 

おそらくそれにはたくさんの理由が存在しているだろうと思う。

だが、自分を見つめ続けて気が付いた事は

「ハマる原因となる思考の大体は、自分の本当の思考ではない」事が多いという事だった。

 

これはどういう事か。

所謂【常識】【ルール】【親からの躾】などに由来して気が付かぬうちに自分の中に植え込まれている思考のせいで、自分の本当の思考とは違う考えや行動を起こしてしまっているせいでループにハマってしまうという事だ。

 

例えば。

親からの躾で「他人に迷惑になるようなことは絶対にしてはいけません」と育てられたとしよう。

割と日本人にはこういう思考を持ってる人は多いかもしれない。

 

この「他人に迷惑をかけるべからず」と言う思考を強く強く持っていると、こんなことが起こったりする。

 

『今自分は疲れているからこの作業を手伝って欲しい。でも、手伝わされた方からすれば迷惑かも知れない。だから何とか自分で頑張らなきゃ…』

 

するとどうだろう。

 

・本当は誰かに手伝って欲しいのに、言い出せないので頑張り過ぎて調子を崩してしまう。

・本当は手伝って欲しいのに、他の人はそんな事に気が付かず自分の仕事が終わらせて帰ってしまい、悲しい思いをする。

・手伝って欲しいけど、お願い出来ないから頑張ってるのに「頑張ってね」と言われてイラついてしまう

 etc...

 

自分にとって良いとは言えない出来事がたくさんやってきてしまうのではないだろうか。

 

これがループにハマってしまう原因だろう。

 

では、上記の例でループから抜け出すためにはどうすればいいのか。

 

それは『手伝って欲しい』と言う自分の願いを素直に表現することに限る。

もしくは『疲れているから翌日に回す』などの回避パターンも有効だろう。

 

とにかく自分の願いはどこにあるのかを見つけ、素直にそれに従う事だ。

 

もちろん、他者が関係することでは自分の思い通りにいかない事もある。

それを理解した上で自分の願いに素直になる事が一番だ。

 

****

 

上記のような例は他にもたくさんある。

 

それでも総じて言えるのは【自分に素直になる事】ではないだろうか。

 

もし何かおかしなループにハマっていると感じたときは【自分の思考や行動】が、自分の本当の願いと相違ないか、または【いつも同じようなパターンの思考や行動をしていないか】をじーっと見つめると、そこに答えがあるように思う。

 

****

 

そしてさらに言うと、自分の本当の願いを知り、自分に素直になると、自然と自分らしい道を歩めるような気がしている。

 

一番初めに書いた自分の方向性の話に戻るが、私は今後の方向性として

『自分に素直になる、自分らしく生きる、自分道を歩む』事が大切である事に気が付いたのだ。

 

自分で言うのもなんだが、私はとても勘が鋭いらしい。

そして他者に対しての観察力にも長けているらしい。

 

それはもちろん長所でもあるのだが、この勘と観察力が優れているせいで『他者の希望に応えがち』になっているのが今までの私だった。

 

相手の望みを応えがちなせいで、自分の望みはないがしろにしがち、でもあったのだ。

それは自分自身の希望を無視し続ける事でもあるので、疲弊してしまう事が少なくなかった。

 

だからこれからは、他者への望みを応える事はそこそこに、まずは自分の望みを優先することを第一にしようと思っている。

 

それこそが、私の自分らしく生きる道、であると信じて。

 

****

 

自分には自分が大切にしたい価値観がある。

好きな事嫌いな事、愉快と感じる事不愉快と感じる事。

まずはそれを知り、大切にする。

そして、私は私、あなたはあなた、である事を忘れない事。

それぞれがそれぞれの価値観を大切にし、尊重し合う事。

決して互いの領域を侵して荒らさない事。

 

これらを念頭に、今後自分らしい道を歩んでいく所存である。

 

自分らしさを邪魔する思考は、全部捨ててしまおう。

 

以上、本日の会議はこれにて終了。

自分に嘘をつかない

今日メッセージのやり取りをしていて、自分が放った言葉ながら大切な事を言ったような気がしたので、記録がてら書く。

 

今現在私自身を含め、私の周りの人たちで『人生が動いてる』状態の人が沢山います。

とても不思議なタイミングでみんないろんなことが起こり、人生の転機と呼ばれるような状態の人が本当にたくさんいます。

 

私は今仕事もなくて、就活する気力もなくて毎日引きこもってて、家も実家に出戻って居候だし、一番近くで支えてくれるパートナーもいなくて、どちらかと言うとマイナス的状況に見舞われています。

 

友人の中には『離婚する・しない』の話をしている人もいれば『結婚が決まった』って人もいれば『妊娠した』って人もいて、マイナス的状況人の中にもプラスに向かって動き始めている人たちもいます。

 

とにかくみんな、何かが動いてる。

 

そしてみんな大切な人たちなので『いい方向に進んで欲しいな』と思うわけですが、そんな中ふとこんなことを思ったのです。

 

『自分が自分に嘘さえつかずにいれば、いい方向にしか進まない』と。

 

【自分に嘘を付かない】

 

これって簡単なように見えるけど、実はみんな結構フランクに自分に嘘をついている事が多いと思います。

 

小さなことで言えば「今日はステーキが食べたいけどお金ないしラーメン食べよう」とか。

大きなことで言えば「本当はやりたい仕事があるけど、給料が良いから我慢して今の仕事続けよう」とか。

もっと言えば「夫婦間の愛情は冷め切っていてもうどうしようもない状況だけど、世間体もあるから仮面夫婦でやっていこう」とかね。

 

自分の本音は□□なのに、△△を行う。

これってある種自分に嘘付いてるよね。

 

多分、仕方ない事もあると思う。

嘘をつかざる得ない時ももちろんあると思う。

 

でも、本心に気が付きながらもそれを無視して違う事やってたら。

多分それってあんまり幸せではない気がしてならない。

 

だから、自分に嘘をつかず、自分が進みたい道に進むのが一番いいのだと思う。

その道が、例え第三者から見たときに、批判されるような道だったとしても。

自分自身が選んで納得して歩む道なら、きっとそれは【いい方向】なのだと思う。

 

もちろんね、あまりに他人に迷惑かけすぎるとか、法を犯してしまうとか、そういうのは問題ありだと思うけど。

 

守るべきルールの中で、自分が本当に進みたい道を進むことが、その人にとっての【いい方向・良い人生】なのではないかと思ったのでした。

 

自分に嘘を付かない事。

幸せを知りたいなら、自分にとっての幸せがなんであるかをよく知る事。

それが自分にとって最善の道であるという事を、忘れないようにしたいと思う。

 

これはあくまでも私の考え。

 

自分に嘘をつき我慢し続ける事こそが幸せだと主張する人もいるだろうけど、それはその人が望むことならそれでいいと思うし。

 

ただ、私の幸せへの近道は【自分に嘘を付かない事】だと思ったよってお話しでした。

 

以上、今日の会議はこれにて。