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脳内会議

考え事が好きな人の頭の中身

二種類の『心配する』

考え事

心配するという事。

一言に「心配する」と言っても、心配される側に立つとなぜか有り難いと感じられる「心配」と、鬱陶しいと感じられる「心配」がある事に気が付いた。

 

受け取る私に問題があるのかとも思ったが、よくよく観察してみるとそうではない事が分かった。

 

これはあくまでも私なりの感じ方だが、今日はその差を書き出したいと思う。

 

心配とは

まず、心配とはなんだろう。

調べてみよう。

 

デジタル大辞泉の解説

しん‐ぱい【心配】

[名・形動](スル)
物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。「親に心配をかける」「将来を心配する」「心配な天気」
気にかけてめんどうをみること。世話をすること。「近くに住む娘が食事の心配をしてくれる」

なるほど。

要するに相手を気にかけて心を悩ましたり世話をする事らしい。

まずはそれを頭に入れておこう。

 

有り難い「心配」

前述の通りである。

相手の事を慮って、気にかけてくれた上での「心配」

これは紛れもなく有り難い心配だろう。

 

・あの人、体調悪そうだったな。無事に帰れたかな。

・一人暮らしのお母さん、ちゃんと家事出来ているかな。

・主人の帰りが遅いわ、どこかで事故にでもあったのかしら…

 

そんな風に相手の事を思った心配は、優しさとなり暖かさとなり、相手に伝わるものだと思っている。

 

有り難くない「心配」

では、その逆である有り難くない「心配」とは一体どのようなものだろうか。

 

それはおそらく、

『他人を思いやっている様で、実は自分の為のもの』である。

 

説明しても分かり辛いので例を挙げていく。

 

・小学生の子供が料理をしたがっているけど、包丁を持たせても大丈夫かしら…

(→もし怪我でもされたら怖くてたまらないから止めさせた方がいいわ)

 

・彼が体調悪いみたい。連絡もないけど平気かな。①

(→心配してるのに連絡も寄越さないなんてひどいわ)

 

・彼が体調悪いみたい。連絡もないけど平気かな。②

(彼の体調を心配する私、優しい。褒めて褒めて)

 

こんな感じだろうか。

 

そこにある差

この差、分かっていただけるだろうか。

 

有り難い「心配」というのは、純粋にその相手を想いその相手を気遣って出てくる言葉なのだろうと思う。

 

それに比べて有り難くない「心配」は、相手の事を想っているように見えて自分の事を想っているように感じるのだ。

 

例えば前述の小学生の料理の例え。

確かにけがをされるのはとても心配だ。

出来るなら愛する我が子に痛い思いなどして欲しくないはずだ。

でも、もし仮に怪我をしたとして、我が子が痛い思いをした先には何が待っているのだろう?

 

それは「包丁で手を切ると血が出てとっても痛い。だから刃物を扱う時は気を付けなければいけないんだ!」という気付きや、「怪我をすると痛くて辛い。だから他人を怪我させるような事をするのは良くない事なんだ」という発見、それ意外のたくさんの経験を積む機会であるという事。

 

そして、親が怪我をすることを心配して料理をさせないという事は、それらのチャンスや経験を奪ってしまうという事(そのチャンスより自分の心配を落ち着かせる選択をしているという事)になるのではないだろうか。

 

もちろん、程度の差はある。

しかし、相手の事を純粋に想って出てきた「心配」ではなく、自分の事を想って出てきた「心配」は、確実に相手からパワーを奪うような気がしてならない。

 

結論

少々ざっくりとした説明で終わってしまったが、まとめたいと思う。

「心配」することは悪い事ではない。

相手を想い、気遣い、慮って生まれる「心配」は相手にとっても嬉しいものであるはずだ。

しかし、自分が辛い思いをしたくないから、自分が満たされたいから、自分が安心していたいから生まれる「心配」は、相手を使って自分を満たす為の材料にしている可能性がある事、そして相手からしてみるとそれは「ただ鬱陶しいだけ」である事を忘れてはならないだろう。

 

ちなみに

私は心配される事は純粋に嬉しい事だと感じる。

ただ、やはりたまにではあるが「鬱陶しい」と感じることがある。

それはここに書いたように、「私の心配」をしているようで「私の心配」をしているわけでは無いという事が垣間見えるからだった。

 

特にこんな心配には要注意。

誰かが何かをしようとしている時に「それ大丈夫?」「もっとしっかり考えた方がいいよ?」「私は賛成出来ないな」「私は心配だから止めた方がいいと思う」などと、相手の行動を阻むように『心配』という武器で射撃してしまう行為。

 

それ、確実に相手のパワーとやる気奪ってますから!

 

その人が本当に危ない橋を渡っているのであれば全力で止めるのは優しさだ。

それは『相手を想って』生まれているものだから。

 

そうではないのにこの行動を取ってしまった場合。

それは暗に「貴方のやろうとしている事を、私は信用できません」と言っているのと同じではないだろうか。

 

仮にその人が失敗してもいいのだ。その失敗はその人が選んだ道の途中にあっただけで、その先にはまだ道が続いているのだ。

その人が失敗したとしても、それは貴方の責任ではない。

その失敗を経験したことで、新たな別の道が開ける事だってある。

心配であっても、不安であっても、その人が決めた事であればむやみやたらと口出しせずにぐっと堪え、それでも本心だけを伝えるに留めるのが一番いい気がする。

 

「私は貴方がその事をするのに不安があるよ。

 でも、貴方がその道を歩むというなら何も言わない。

 もし何かあったら全力で力になるから、いつでも言ってね」

 

それ位に留めた方が、きっと相手は安心して、力強く前に進んでいくのではないだろうか。

 

余談の方が長くなってしまった。

というか、メインは余談の方だったりして。

知らず知らず、相手の為を想ってたはずが相手のパワーを奪い取ってた、なんてことが無いように気を付けたい。

 

今日の会議はこれにて終了。