脳内会議

考え事が好きな人の頭の中身

強さでは無く弱さに目を向ける


私は弱い。
特にメンタルがもろもろに弱い。

すぐ不機嫌になるし、すぐ落ち込むし、すぐやさぐれる
この人生ずっとメンタルが不安定すぎて、正直しんどい。

余裕が無くなると、顕著に不機嫌になってしまう。
不機嫌になるだけならまだいい。
その不機嫌を周りにまき散らしてしまうからたちが悪い。

そんな自分が大嫌いで、ずっと「強さが欲しい」と願ってきた。

私はその願いをかなえるべく、20代中頃から心理療法の勉強をしたり、実際に自分が心理療法を受けたりして、かなりメンタル強化を行ってきた。

メンタル強化を始めて、既に7年くらいになるだろうか。
アホらしいと思われるかもしれないが、私はこれに100万近く注ぎ込んでいる。

それでも強固なメンタルが欲しかった。
それで人生が平和になるなら安い物だと思ったから。

成人するまでに土台となる自己肯定感や承認欲求が満たされていればこの様な事にはならなかっただろうが、私のそれらは満たされること無く大人になってしまったのだ。

だから自分で満たす他ない。
時間とお金と労力を使って。
そしてこの頭と、周りの人間関係を使って。
全てが満たされるように、必死になって作ったり壊したり壊れたりしながら頑張って来た。

おかげ様で以前と比べればかなりメンタルは安定してきた方だ。

不機嫌になる事があっても1週間単位で引きずる事は無くなったし、落ち込むことがあっても寝れば元に戻せるようになった。

それでも私は、まだ弱い。
だからいまだに「強さが欲しい」と願っている。


しかし最近ふと思ったのだ。
私に必要なことは本当に「強さ」なのだろうか、と。

たまに言われることがある。
『ねこのこちゃんは強いよね』と。

そして思う。
『そんなわけあるか』と。

いまだに些細なことで不機嫌になったり落ち込んだり眠れなくなってしまう私が、強いわけあるか、と。

でもきっと、人から言われたように私は強くなったんだろう。
7年の時間をかけて、100万ものお金をかけて、欲しくて欲しくて仕方が無かった強さを手に入れたのだろう。

だとしたら、私が求めてる「強さ」とは一体なんなのだろう。

そして気が付いたのだ。

もしかしたらそれは「弱さを認める」事ではないのだろうか。
今まで忌み嫌い続けていた「弱さ」が足を引っ張っているのではないだろうか、と。

良く考えてみたらそうだ。
人間落ち込むことくらいある。
不機嫌になってしまう事もある。
それを毎回毎回「弱さ」のせいにして否定し続けたらどうだ。

もし私が「弱さ」だったら『いい加減認めろよ!』と思うだろう。
存在すら認めて貰えなかったら、ずっと救われない気持ちのままなのではないのだろうか。

だったら、もういっそのこと自分の弱さをまるっと認めてしまえばいい。
自分の弱さを認めて
『出来ない事は出来ない』
『辛いものは辛い』

『だから、助けて』

そう言って、誰かに弱音を吐きだし助けて貰ったらいいのではないだろうか。
自分でどうにもできない事を自分でどうにかしようとするから辛くなるのだ。
ならば誰かの力を借りればよい。

しかし今現在それが出来ないことが、そもそもの私の弱さなのではないだろうか。
もしそうなら、私はこれを認めて、今以上に穏やかな自分になりたいと願う。

弱さを認めることはとても怖い事でもあるが。
でも、弱さを認めるだけなら、お金もかからないのだから。

やれるだけのことを実践してみよう。
それで何も変わらなければ、また試行錯誤を繰り返せばいい。
なるべくもう、壊したり、壊されたりしない方法で。


今日はここまで。