脳内会議

考え事が好きな人の頭の中身

大切なものと向き合う

私には今、とても大切にしたい人がいる。

このブログをまめに読んでくださっている方にはもうバレバレかもしれないけれど、敢えてそこには触れない。
 
その人は自分の人生にとってなくてはならない存在だと言い切れるような人で、この人がいなくては今の私は無いだろうと思える人だ。
今のところこの世で一番関わってて楽しい人で、人と会話するという事がこんなに面白いと思えるのは、ダントツでこの人。
一緒に居る安心感も強い。
他者に対するキャパシティがとても大きいのだ。
だからついつい甘えたくなってしまう、そんな人。
 
そんな感じで、私にとって心から大事な人なのだ。
 
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最近の私のテーマは「大切なものを大切にする」にしている。
 
今までの私は、自分の見たいモノを見たいようにしか見れていない人間だった。
見たい様にしか見ていないと、そのものの「本当の姿」が見えなくなってしまう。
そのものの「本当の姿」が見えないという事は、要するに「本当の姿」を無視している、もしくは否定しているという事にもなる。
 
そんなことをしていれば、その対象と当然いい関係など作ることは出来ない。
それはそうだ、「本当の姿」を否定されたり無視されるのは、誰だっていい気分はしないのだから。
 
しかし以前の私は特にその傾向が強かった。
そのせいで、先ほど話した大切な人との関係も、一度ぶち壊している。
 
いや、正確に言うのなら、その関係が壊れたのは一度や二度では済まなかった。
 
何度も壊れて離れて、それでも離れきれなくてまた近づいて、近づいたらまたぶつかって、壊れて、離れて…
 
そんなことを何度も何度も数年にわたり繰り返して、最後は私の心が壊れて離れてしまった。
 
それがその人との縁の切れ目だと思っていた。
もう二度と会えないのだろうな、と思っていた。
 
それがあるきっかけを堺に再会する事が出来たのだ。
 
再会をしたら「やはり自分にとってこの人の存在は特別だったのだな」と再認識をせざる得なくなって、気が付いたら心まで惹かれてしまっていて、今は「純粋に大切で大事な人」にプラスして、気持ちに色が付いてしまっている。
 
まぁ、気持ちに色がついてしまったのは仕方がない。
この気持ちはコントロールできないし、嘘は付けないから。
 
問題はこの後だ。
 
私にとって、関係性が変わろうとこの人はとても大切な存在であることは昔から変わらない。
だけど、以前の私はこの人を大事に、大切にすることが出来ていなかった。
なぜなら「本当の姿」を見ていなかったから。
その人との関係が壊れたのは、その人の「本当の姿」を見ずに、見たい姿だけを見て(なんなら押し付けて)、納得がいかないとそれを否定していたからだ。
 
もう、あの時と同じようなことはしたくない。
もう、あの時と同じ自分ではいたくない。
大切なものを大切に出来ないままの自分ではいたくない。
大切なものを、心から大切に出来る人間になりたいのだ。
これは、私の心からの叫びでもあるのだろう。
 
だから、それはもう必死に必死に考えている。
 
自分の願望や欲望を消すことは出来ないけれど、それでもそれらをいったん横に置いておいて、その人のために出来る事はなんだろう、と。
自分がどう振る舞うべきなのか。
自分は何を伝えられるのか。
どうすれば、相手に負担をかけずにいられるか。
何が相手にとって心地いいのか。
 
これまで自分を優先し続けてきた私に欠損していた事ばかりだ。
だけどきっと、これが出来なければ大切なものを大切にするなんて一生出来ないんだろう。
 
だから、頭を抱えながら、時には不甲斐なさに泣きながら、たまに湧き出る愛情に驚きながら、一生懸命考える。
 
大切なものを大切にするために、自分が出来る事はなんなのだろうか、と。
 
今日はここまで。